2012年6月11日月曜日

オタク文化における変身について

1.今回は、日本のサブカルチャーにおける変身をとりあげます。
が、日本のサブカルチャーにおける変身をとりあげる前に、
まず、美術史の中における「変身」について
ふまえなくてはなりません。

この文献を参考にして

美術手帖 1995年6月号[image1]

美術史の中における「変身」を探っていこうと思います。

西洋美術のジャンルで「変身」が注目されたのはほぼ16世紀半ばからはじまった「マニエリスム」「バロック」です。これらには人の変身願望を反映した作品が多く見られます。(図1)

19世紀末には、不思議の国のアリスにおいて、現実が嫌でくるくる変身する幼児アニミズムの世界が表現されています。

また、1920年はシュルレアリズムにおいて変身狂い(図2)がはじまります。

 もうひとつの軸として、人間の「美醜」の基準が変に定められてしまったという視点もふまえなければなりません。1778年にラファーターの『観相学断片』(図3)が登場したことにより、「正しい顔」というものがステレオタイプのようなものにおとしこまれてしまったのです。19世紀末には「美醜」の新しい規範が成立したために、その流れの中で「人間を正しい顔に変える」という整形医学がジャック・ジョセフというユダヤ人医師によってはじまりました。(1896年)現在では、病んだステレオタイプが完成し、ショーウインドーの新商法と結託、変身後のモデルを押し付けるようになっていると言われています。

 ちなみに、1995年の『美術手帖』において美術評論家の上野俊哉は
「日本の70年代以降の大衆文化に鼓舞されたかたちの変身のコンセプトに
ついて考えるつもりはまったくない」と斬ってしまっています。
(つまり、彼の場合はサブカル的な変身についてはくだらないものだと断定し排除して語っている)

上野氏は現代美術における「変身」のテーマを 

1)主体の自同性の変容:アイデンティティの変換 
2)機械やテクノロジーとの混交による変型:サイボーグ要素を持ち込む 
3)環境と作品との相互外在的な一体化:自然や生命における進化や変異(環境も含む)

と分類していますが・・・・・・・
結局のところ、そのどれもが日本のサブカルチャーに
多く見受けられるテーマだということを忘れてはならないと思います。

たとえば、1)は魔法少女アニメによく見られるし、
2)は攻殻機動隊の主軸となるテーマです。
                 
3)に関してはジブリアニメに一貫して見られる「変身」の概念です。
                     

となると、上野氏のように「現代美術はハイカルチャーであるから評価すべき、
サブカルチャーの文脈における 変身 は横に置いておく」という姿勢は
とるべきではないと私は思います。

 なお、現代美術の作家、会田誠は自身の作風(図4)
コロコロ変わることについて以下のような意見を述べていますが、


「情報に溢れていたり民主主義教育だったりする現代の日本では、
よっぽどすごい家元にでも生まれなければ、
僕くらいの多様性を内にかかえてしまうのは当然のことでしょう。
ただ多くの人びとは、自分の中のたくさんの要素を切り捨てて、
自分を集結・凝固させようと日々努めているのだと思います。
それを僕があまりしないだけなのです。」


彼は作風の中にサブカルチャー的要素を含ませていることで、
アートの世界に新しい風を起こしていることは確かです。
http://mizuma-art.co.jp/artist/0010/
(女子校生・特撮などのモチーフが彼の作品の中に多く見られる)

 一方、『美術手帖』19956月号 特集「変身」の中で
映画評論家の樋口尚文は特撮モノの中に
日本の美意識のようなものを見出しています。彼の論は以下の通りです。

1)アメリカ製のヒーローものは
変身後の立ち回りは情熱を入れて描いているものの
変身の瞬間は熱意を傾けない
                

2)日本のテレビヒーローの系譜の中で
カートゥーン的なタッチを本格的に取り入れたのは
66年の「ウルトラマン」の「変身カット」である。
(飯島敏宏ディレクターの発案)

なお、特撮ものには2つの系統があります。

1)ウルトラマンのベータカプセルを使用した変身
                                        

2)もうひとつの系譜は「歌舞伎的な変身」
                   
この、ふたつめの系譜は71年の仮面ライダーのことです。
                  



静止したポーズが特徴で、この歌舞伎的要素は「秘密戦隊ゴレンジャー」でいっそう激しくなります。ゴレンジャーのアカ・アオ・キ・ミドリ・モモのポーズも歌舞伎調です。
                   




アカレンジャーが直立、その両側にアオ、キとミドリ、モモが両足を開き片膝を曲げる。(図5)これらは、逆に海外で脚光を浴びるようになります。
なぜなら海外の人にとって日本の美意識は新鮮だからです。
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2.次に、日本の特撮文化を
「思想的」な側面から見てみたいと思います。

諌山陽太郎『マンガ・特撮ヒーローの倫理学』では
ウルトラマンを宗教的な視点から考察しています。

本書での展開は以下の通りです。

1)怪獣やウルトラマンの力は圧倒的である(これは見ればすぐにわかる)
2)人間は祈るしかない
3)怪獣やウルトラマンは神々の闘いのようなものである
4)ウルトラマンは人間的な葛藤がない
5)宗教的な問題ではないが、神をめぐる「態度」のようなものが現れている

ウルトラマンはハヤタ隊員でありながら、同時に巨大な宇宙人。
本書において、この設定は仏教的であるのでは、と指摘しています。
もともと日本に仏教が入ったのは国を護るためでした。国を護るために海外の神を輸入したものが大仏という存在であり、ウルトラマンの敵は日本の土着的な神々であった、という考察です。

 この諌山陽太郎氏の論をふまえて、私が考えたことは、


「ウルトラマンの変身ポーズは密教の印のようなものではないか?」

ということです。印とは悟りの証を示すポーズ
(参考文献:藤巻一保『密教 印のすべて』)(図6)で、


多くの仏像がこの印を結んでいます。
 なお、仏教では、悟り方にもいろいろな種類があり、
 禅は自力、
 浄土系は他力、
 密教では仏と一体化します。


となると、ウルトラマンは密教的な仏のような存在であるといえるかと思います。


密教には「仏凡一如」という言葉がありまして、これが日本のサブカルチャーの変身の概念にも大きく影響しているのではないかと思います。


(ちなみに、仮面ライダーは改造人間なので違う)

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 海外の変身ものには、日本のような宗教的な背景というものは見られないと思います。たとえば、スパイダーマンは偶発的な事故が原因、バットマンは資本主義的な変身を遂げています。(資本主義が魔術的な力を持っているということの表現であるかもしれない)


ちなみに、アメリカにおける資本主義の魔術的な力については
マイケルムーア監督の映画『キャピタリズム』をお勧めします。

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さて、ここまでは特撮ヒーローものを取り上げてきました。


3.美少女アニメの変身の場合はどうなのでしょうか。


文献としては『戦闘美少女の精神分析』(齋藤環)『紅一点論』(齋藤美奈子)が挙げられます。『戦闘美少女の精神分析』(齋藤環)では『ふしぎなメルモ』も関して以下のように書かれている。

「少女がふしぎなキャンディをなめて成熟した女性に変身する過程は
 変身の意義を端的に明かしてくれる。そう、変身とは 加速された
 成熟の過程 にほかならないのだ」
                   

 この場合、「変身」とは少女が「成人女性」「老女」へと変身することであり、通常の意味での「変身」というよりは、女性の一生における輝きや哀しみをキャンディという変身ツールを介して表現しているのではないでしょうか。

一方、『紅一点論』(齋藤美奈子)では魔法少女を以下のように分類しています。

1)先天的な魔法少女サリー型

2)後天的に魔法グッズを授かるアッコちゃん型
                   

サリーは他者に対して働きかけるが(物を動かす、消すなど)
アッコは変身オンリーで・・・
その後の作品において、アッコ型は多用されるようになります。しかしながら一瞬にして憧れの姿に変身してしまうシンデレラ型は「変身とは何か」を問うようになるのです。つまり、他力本願で理想の姿になってしまうこと自体に限界があるということに人々が気づきはじめるのです。努力せずに、「理想の女性」になることで「本当の自分」とのギャップが生じ、それは永遠に解決しません。

私のコメント:ひみつのアッコちゃんの自己像はラカンの精神分析による
自己イメージに近いのでは?(鏡の中の他者=自己←自己愛の起源
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これらの齋藤美奈子氏の論をふまえ・・・・
以下、私は、魔法少女の変身後の姿=
「理想の女性像」に
着目したいと思います。


           『ナースエンジェルりりかSOS』

             『ウェディングピーチ』
       


                『セーラームーン』
                    


これらの作品群には…「自己犠牲」「女性は他をケアすべきである」「お嫁さんになるべきである」「相手を死ぬまでコテンパンにすることはできない(セーラームーンの場合、最後は相手を癒す、イザとなったら男性のタキシード仮面が助ける)」というこれらのメッセージが暗に込められていたと思います。

(ただし、セーラームーンのコスチュームについては
 バブル期の特殊なファッション
 が反映されていることにも着目するべきかと。
 バブル期のボディコンファッションの解釈につきましては
 以下の本をオススメします。

この本によれば

 1.ボディコンは86年~89年、日本の街角やディスコで見られた
 2.漫画家・中尊寺ゆつこはボディコンを「女の子の戦闘服」と名付けた
 3.男に媚びていたわけではなく、挑発、宣戦布告という意味)

たぶん最初の宣戦布告はココ:http://riekonaito.blogspot.jp/2013/01/blog-post_368.html
 
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しかし、これらの魔法少女の流れは、ある作品によって大きく変容します。


女性がレースカーに変身し、行き着く果ては「世界の果て」である『少女革命ウテナ 劇場版』によって、「理想の女性像」は大きく変容したと考えられます。
レースカーに変身したウテナは、王子様に幸せにしてもらうという幻想を振り切り、世界の果てを目指します。(つまり、女性から男性への宣戦布告の時期は終わり、
本気で自立して生きていくという方向性に変容していく)


            『少女革命ウテナ 劇場版』(1999)
                   
また、魔法少女に変身しても、変身後、女の子同士でまさに死闘を繰り広げる『魔法少女まどか☆マギカ』がシビアな時代に生きる女性の姿を反映した作品になっていると思います。都合のいいときだけ変身して願いをかなえる魔法少女ではなく、自分の命を懸けるという重い設定が本作の特徴です。


             『魔法少女まどか☆マギカ』(2011)


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4.2次元から3次元へ…


これらの、この「一瞬で理想の姿になる」という魔術的手法を現実の世界でやっている女性もいます。それは「コスプレイヤーさん」という存在です。(コスプレイヤーが多く見られる場所として挙げられるのは、コミックマーケットだが、コミックマーケットの歴史について言及しているとまた長くなるのでこの本を参照ください)
この本の140ページにコミケの歴史が載っています


ユング心理学には「ペルソナ」という概念がありますが制服はペルソナを強化する働きがあります。コスプレは、その反対に、着るものによって人格の仮面を付け替えて遊ぶ高度な遊びでもあるのです。

海外の場合、もともと仮装の文化が基盤にあるので
(『世界カワイイ革命』による)「オタクっぽい行為」という感覚がありません。


ゆえに、アニメキャラの仮装も、
わりと敷居が低くコスプレしやすいそうです。(図8)





また、カワイイ文化はアニメの文化に載って海外に流入しているため(この件につきましては私の担当している講義で学生さんのご協力のもと、あきらかにしました)、
http://riekonaito.blogspot.jp/2012/04/blog-post_25.html
(↑この講義録の 4 をご参照ください)


日本のサブカルチャーのおける「変身」の文脈(魔法少女含む)が
海外の文化に大きな影響を及ぼしていることは間違いないと考えられます。


これらオタク的(ギーク的)な遊びはファッションの世界(レディガガのファッションがその良い例である)にも進出しており
(詳細は添付の資料『ELLEgirl20124月号』記事をご参照ください)、
「萌え」も海外のアートシーンに登場するほどになってきています。


ここで振り返ってみると、ハイカルチャーの世界から排除されていた
「日本のオタク文化における変身」は巡り巡って、
ついに欧米のアートシーンまで進出しているのです。(なお、
国内よりも海外の評価のほうが高い)


よくよく考えてみると、ゴッホが影響を受けた「浮世絵」も、
もともとは日本のサブカルチャーでした。


特撮、魔法少女、コスプレなどの日本のサブカルチャーにおける「変身文化」は、
西洋文化(アートやファッション)に強い影響を与える存在へと
昇華しつつあると言っても過言ではないと思います。


=================================


5.オタク文化における「変身」の最前線


 このコスプレによる変身は、女性が女性のキャラクターのコスプレをするという定説を破り、男性が女性のキャラクターのコスプレをするという現象にまで拡大しています。
「男の娘」について学術的に考察されている文献としては以下の本が挙げられます。

この本によれば


1.最初は、あくまでもフィクションの中の存在だった。
(『ストップひばりくん』 など)
私のコメント:最近の漫画作品における「男の娘」は東村アキコの漫画『海月姫』に見られる
2.萌え要素を含む
3.日本には神話を含め女装に関して伝統アリ

コメント:そういえば、日本にはもともと「男の娘」文化ありますね↓
(江戸幕府が歌舞伎などに女性を使うことを禁じたために、その代わりとして歌舞伎の世界に登場したとされる
それが転じて大衆演劇にも女形が)
つまり・・・・・・・・・・


オタク文化+日本の伝統文化の融合
それが「男の娘」である・・・・・・・・・と言えるのではないでしょうか?
==============================
これらをふまえ、いまのところ、定義としては
以下の4つが考えられます。

1.「女の子にしか見えないけど実は男の子というギャップ萌え」ではないか?

2.特定のキャラのコスプレをする場合もあるが、
女子高校生・ニーソックス・猫耳など「萌えパーツ」を
取り入れている「たんなる女装」の場合も多い。

3.女装はしているが本人の恋愛対象は女性
異性愛者の場合が多い
(ただし、必ずしもそうとは限らない)

4.本人は異性愛者だが、男性側から「萌え」の感情を抱かれる
(女性からもカワイイと言われ、男性からもカワイイと言われる)
ちなみにカワイイ文化についてはこちらをご参照ください

・・・いかがでしょうか。

しかしながら、男性が女性の服を着ることはハードルが高く、
「きっかけ」のようなものがイマイチつかめずにいたところ、
つい先日、知人に「男の娘」をやっている20代男性がいたことが分かり、
(個人的な印象ですが、女装画像を見せてもらったところ
女の子にしか見えませんでした。カワイイと思いました)
その「きっかけ」を書いてもらいました。(以下、直筆メッセージ)


*女にモテないのなら自分が疑似的に女になる
*ネットがきっかけ
*そのまま外出して快感を得る

・・・という流れであることがわかりました。
簡易コスプレセットという商品(ドンキホーテなどで手軽に買うことができる)
がハードルを低くしているのもあるでしょう。
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また男性側が「女性を観賞する側」から
「観賞される側」へと移行した経緯については、以下の文献が挙げられます。

この本の57ページ
ここでは1985年の中曾根総理の発言から男性用化粧品開発がはじまったという
説を取り上げています。男性用化粧品の発売と男性誌の登場によって身体像が変化
「見る側」から「見られる側へ」・・・

「男の娘」は、潜在的にあった女装への願望を
ネット社会が後押ししたブームであると推定できます。
また、1980年ごろからの「男性の自分自身の身体像の変更」が
根底にもあるのではないでしょうか。
「見る側」から「見られる側」へ
そして、それを後押しする「男性用化粧品」の開発。

また、「男の娘」ブームを加速させた背景にあるのは
「ネット上でみんなやっているから、僕もやってみよう」という集団心理に加えて
ネットという発表の場があること。
(コミケで発表するよりも手軽にできる)
今後は他の「男の娘」にも聞き取り調査を行いたいと考えています。

ちなみに、「男の娘」に対する印象を調査したところ、賛否両論あるようです。

男子学生からの反応



1)否定派の意見です↑


2)かなり深い考察だと思います。
男性の女性恐怖→同性の友人でなおかつ恋人が欲しい→男の娘
という流れでできたものであるという分析でした。
同性の友人であり恋人である・・・おまけに背徳感もアリマス、という
フル装備の理想像=男の娘ということですね。

しかし、現実にはいない・・・というのは間違ってますよ。
実際にいますよ。

3)哲学の講義を受講してくれている学生からの
コメントなのでニーチェと絡めて考えてくれました。
男の娘のコスプレをするということは、男であることに
なんらかのルサンチマンがあるんだろうか。
「男らしくなければいけない」「モテない」という無力感からくる歯ぎしりを
解消するために萌えと同一化する超人=男の娘ということになるかな。

4)肯定派の意見です。
「男がつくった理想の女性」=男の娘という分析です。
宝塚が女性に人気なのも
「女性がつくった理想の男性」=宝塚の男役
だからでしょうね。
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女子学生からの反応

 1)肯定派だが、「男の娘」はハードルが高いぞ!という女性からの反応ですね↑


2)「隠し切れない感じ」に萌えるという意見でした。

 3)ブリっ子も、男性がすると負の感情は抱かない、という心理はなんとなくわかります。
4)同性への恐怖がないけど、
女性同士の楽しみがあるという
美味しいとこどり=男の娘という視点でした

 5)男性側の意見に共感した意見でした


6)男性のムダ毛か苦手→男の娘ならきれいそう
というリアルな意見です

 7)否定派の意見です
 8)女装はするがゲイではない、という存在が驚きの対象になるようです
 9)両性具有に憧れるという視点ですね
 10)むしろ女性よりも美に対して向上心があるから、という理由での肯定派です
11)スタンダードに立ち向かう姿としての
男の娘という視点でした


<添付資料>






     <内藤理恵子>



<参考文献一覧>
『美術手帖』19956月号 特集「変身」(美術出版社)
 *P72~ 高山宏「メタモルフィズム」
 *P42~ 上野俊哉「不安定な変型のために」
 *P62~ 会田誠インタビュー
 *p84~ 樋口尚文「変身カットと変身ポーズの間に」

諌山陽太郎『マンガ・特撮ヒーローの倫理学』
齋藤環『戦闘美少女の精神分析』
齋藤美奈子『紅一点論』
櫻井孝昌『世界カワイイ革命』
藤巻一保『密教 印のすべて』

<文中に登場する作品についての補足>
ウルトラマン:円谷プロダクションが制作し、1966年(昭和41年)717日から1967年(昭和42年)49日の間にTBS系で毎週日曜日1900 - 1930に全39話が放送された日本の特撮テレビ番組。

『少女革命ウテナ』:テレビシリーズとして199742日から同年1224日までテレビ東京系で放送された。(図7)

『魔法少女まどか☆マギカ』:20111月から4月まで毎日放送 (MBS) ほかで深夜アニメとして放送された。

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