2012年9月20日木曜日

東浩紀『郵便的不安たち♯』

ここでポストモダンについて説明したが・・・・・・
http://riekonaito.blogspot.jp/2012/08/blog-post_24.html

なんだかんだ言って、この萌え萌えな
本↓の・・・




ポストモダン、ポストモダニズムの説明(P73)がわかりやすいかもW

ポストモダンの説明↓のまとめ
フランスの哲学者リオタールは
近代を

1)原罪からの解放というキリスト教の物語
2)無知からの解放という啓蒙の物語
3)マルクス主義の物語
4)資本主義の物語

・・・・・であったと述べ、
これらを「大きな物語」と呼んだ。

そして、人々がこれらの物語の
終焉を認識した時代こそが
「ポスト・モダンである」と定義した。

んで、そのポストモダンを
目指す活動がポストモダニズム。

でも、ポストモダン自体、まだまだ曖昧な
概念なのです。

ここで、いったん日本の有名な哲学者である
東浩紀氏のいうところのポストモダン定義に
いったんもどろう・・・

この本に詳細が書いてある。


この本のP37~















1)フランス現代思想系の言葉である
2)実際には70年代アメリカでむしろ文明批評の文脈で使われた
3)当時はオイルショック、ベトナム戦争などで
社会が変わるという予感があった。




4)ポスト****主義とか、ポスト*****とか、
その時代はいろんなものにポストをくっつけることで、
新しい社会・文化を表現したダニエル・ベル。
ポストモダンもその中のひとつにすぎなかった。



5)でも70年代後半に、リオタールの著作などで再注目



6)ドゥルーズ、デリダ、フーコー、バルト、ラカンなどを
ざっくりまとめてポストモダンとして捉える傾向は、
リオタールの著作の影響



各々の思想家のまとめはこちら↓



<<コメント:とはいえ、各々の思想家は  
「おれはポストモダンの思想家じゃないよ宣言」とか                                  してる人もいますよね。>>

7)80年代になると、このポストモダニズムに フェミニズムやら、マイノリティ運動やらが加わり 研究家多発:これが英米系ポストモダニズムの軸となる

8)このように歴史的に見てもかなり曖昧

9)曖昧ゆえに矛盾が生じる
*美学的には消費社会が生み出す芸術様式を肯定

*思想的には60年代のラディカリズム http://kotobank.jp/word/%E3%83%A9%E3%83%87%E3%82%A3%E3%82%AB%E3%83%AA%E3%82%BA%E3%83%A0
ゆえに80年代には、左翼的な批判のスタンスでありながら、現実そのものは美学的に肯定 ・・・・・・・・・というよくわからんものになる

 10)保守なのか革新なのか、現状認識なのか改革理念なのか、
 資本主義肯定なのか 否定なのか・・・・・・・・それすらわからんまま。
 11)水掛け論的な感じ                

                     水かけ論のイメージ映像はこちら↓

つまり、ポストモダン自体なんなのか論じはじめると
こんな感じになる!!




12)とりあえず、東氏はつけた決着はこんな感じ。



*フーコーは近代を18世紀末に生まれ、
20世紀の半ばに終末を迎えた社会的・文化的・認識論的論理の複合体
として描いた



*これをふまえて、近代の後に来た文化複合体のことだと捉えたらどうか?

・・・・・という提案が東氏の前提。


==============================

**私のコメント***


たしかにポストモダン自体、曖昧だし、論じはじめると、
水掛け論になる。



しかし、近代が終焉したことは確かである。



1)東氏が論じた近代後の文化複合体「ポストモダン」についてはこんな感じ↓

2)ワタクシの大学の先輩IGW先生のポストモダンのイメージはこんな感じ↓

私は「ポストモダン」は正直不勉強な方でリオタールの『ポストモダンの条件』を読んだくらいですが、前に人が「物語」を必ずしも生きているわけでないと申したのは、現実の物語的な理解以前に「本性適合的」(connatural knowledge)ともいうべきより基底的な精神(魂)の働きがあると考えているからです。
リオタールはやはりユダヤ・キリスト教文化圏の人間として「物語」にこだわり、「物語」こそが科学を基礎づけその正統化をしていると考えているようですが、それ以前に「善」(=存在)についてのある種の直覚(本性適合的認識)が人間を導いているように思います。
 ただし、それは必ずしもうまく発現するわけではなく、フランクルのいう「実存的欲求不満」(ニヒリズム)に陥ることもあるわけで、そこには確かに「物語」を通じて自己の生を未来(目的)に向けて方向づけるという「作業の可能性がある」(理性と「信仰」の関係の問題ですが)
 ポスト・モダンをある種の無意味世界ととらえることは私も内藤さんに同感で、その上に心理学的な自己愛カプセルの世界が展開しているように思います。
 あと、何を前に書いたか忘れてしまいましたが、東さんに特に共感したのはポスト・モダン社会を主観的な自由の増大と客観的な奴隷化が同時進行する人間の「動物化」の世界(ハックスリーでたとえられていましたが)と理解しているらしい点で、その点は極めて重要かつ適切な指摘だと同感した次第で、
それを私は「官僚制的個人主義社会」とマッキンタイアの言葉を借りて呼んででいました。
 
3)私が思うポストモダンのイメージは・・・ 個人が、多元的自己を持っているイメージ http://riekonaito.blogspot.jp/2012/09/blog-post_6255.html  

それらをケータイやネットが繋いでいる感じかなぁ。

  自己愛というよりは、もっと芯がカラッポなイメージがある。

 今回の結論:講義で、話し合って、結論を出そう

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